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医者はなぜお互いを「先生」と呼ぶのか?

  • 2012年7月13日 13:30

 上記内容のブログを日経メディカルの記事で見て
懐かしく思いました

僕も学生時代に 医者同士で先生と呼び合うことに
疑問がありましたね~

ただ、実際に自分がその立場になって考えると
わかりやすくて必要なんですね~

普通の職場ですと、
○○さん  ○○君
ですよね

病院でも
同じでも良いのですが・・・・
患者さんにとってわかりにくい
○○さん と呼ばれた人から 話をされた際に
この人が 医師なのか? 看護師さんなのか? はては白衣着た事務員さんなのか?
この辺が、全くわからない

○○先生で話をすると、聞いている人に 医師だと言うことが理解していただける
その他は、少し気を引き締める意味もあるんでしょうね?
自分でも ふみもと先生
     ふみもと君
では、瞬間的な気の引き締まり方が違いますよね~

この辺のことが有り、僕はむしろ積極的に場を見ながら
○○先生を 使うようになりました

ですのでこの先生のコメントには、同じことを考えたんだな~
って懐かしい感覚と 今の違和感が混在しますが・・・  (笑)


医者はなぜお互いを「先生」と呼ぶのか?

著者プロフィール
尾藤誠司氏(東京医療センター臨床研修科医長)●びとうせいじ氏。1990年岐阜大卒。国立長崎中央病院、UCLAなどを経て、2008年より現職。「もはやヒポクラテスではいられない 21世紀 新医師宣言プロジェクト」の中心メンバー。

 気づけばもうすぐ夏です。新たに医療専門職として働きだした方々も、徐々に仕事に慣れてきた頃でしょうか? 今回と次回は、特に新しく"プロとして白衣を着て仕事を始めた"皆さんに、すこしトンチを働かせて考えていただく内容にしました。今回は、「医師がお互いを『先生』と呼ぶことに対する違和感」についてです。

 私が学生時代、臨床実習が始まってすぐの時、軽い衝撃を受けた出来事がありました。大学病院で私たちの班についてくれた医師が小レクチャーを開いたのですが、その医師が私たち医学生に「で、先生はどう思うの?」とたずねたのです。その時の混乱と違和感は、今でも鮮明に覚えています。この人は、どうして私たちのことを「先生」と呼ぶのだろう? ひょっとして、もう医師免許を持っていると勘違いしているのだろうか? それとも、おちょくっているのだろうか? などと当時の私は感じました。

 しばらくたって、違う部署に行っても、医師は私たちに対して「先生さー、だめじゃんそれ!」などと、普通に「先生」と呼んできたのです。どうやら、医師の文化では同業者らしき他人のことをだれでも「先生」と呼ぶらしいと気付きました。その後、私も医師となり、患者さんや看護師から「先生」と呼ばれることや医師同士で「先生」と呼び合うことに、次第に違和感がなくなっていきました。

 ですが、医師として20年以上経過し、私は再び「先生」である自分や、同僚を「先生」と呼ぶ自分になんだか気持ち悪さを感じるようになってきたのです。簡単に言うと、"相手をバカにしているような感じ"を覚えるようになってきたのです。

「先生」と呼び合う職種に共通すること
 有名なことわざに「先生と よばれるほどの ばかでなし」があります。巷のことわざ辞典によると、「『先生』と呼ばれても、いい気になってはいけないよということ。教師をはじめ、医師・弁護士など、普通『先生』と呼ばれる人以外に使う『先生』には必ずしも敬意が含まれていないことから言う 」という意味のようです。はい、まさにそういう感じですね。

 わたしは、患者さんの前では医療の専門家としての「先生」です。患者さんに「先生」と呼んでもらい、「先生」として振る舞い、「先生」として仕事をすることが、医師の務めであり、社会保険が適用されている公共サービス提供者の務めなのだと思っています。しかし、同僚から普通に「先生」と呼ばれると、「俺、君になんか影響与えたっけ?」という感覚を少なからず自分の中に覚えてしまうのです。

 お互いを「先生」と呼び合う職種には、政治家、医師、教師などがあります。「先生」とは、「先生」と呼ぶ側から見た場合、ある点において「えらい」人たちを指すと私は思うのですが、お互いを「先生」と呼び合っている人たちは、その「ある点において」という枕詞が抜け落ち、自分たちのことを「全体としてえらい人たち」と勘違いし続けている人が多い気がするのです。「お互いに突っ込めない」「突っ込まれない」存在であろうとし過ぎていると思います。

 おそらく、自分のクライアントである国民、生徒、そして患者に対して、歴史的にゆるぎない「権威勾配」を維持する必要がこれらの職種にはあったのでしょう。クライアントを常に正しい方向に導いていくため、常に正しい存在である必要、そして突っ込まれることを許容しない存在である必要がこの職種にはあった。その権威勾配を維持するため、自らも自分たちを「先生」と呼び合ったのだと私は考えています。

 一方で研修医の間は、医師は毎日のように突っ込まれます。「先生そんなんじゃダメじゃないか!」と上司から叱責を受けます。私には、この叱責が「他人から突っ込まれるような隙を見せちゃダメじゃないか!」というニュアンスに聞こえることがしばしばあります。若い医師は、いつでも誰からも「先生」でいなければならない生活を、知らず知らずのうちに押し付けられているのかも知れません。さらに、医師のように、個人個人で並列関係の専門性が独立して存在しているような職種では、お互いを「先生」と呼ぶことが、侵してはならない"領海侵犯の範囲"を確かめ合う行為につながっているようにも、私には感じられます。

「先生」と呼ぶのはどんな場合か
 では反対に、同僚を「先生」と呼ぶことに対して違和感を持つ人について考えてみます。私は、そういった人達は、以下のような行動規範に従っていると想像しています。

 (1)多職種が交わるような場では「先生」とは呼ばない
 (2)本当に尊敬する師匠のみ「先生」と呼ぶ
 (3)病院から出たら、「先生」とは呼ばない
 (4)先輩医師には「先生」と呼び、同僚・後輩医師は「先生」とは呼ばない
 (5)親しい医師に対しては「先生」とは呼ばない
 (6)基本的にすべての場面において「先生」とは呼ばない

 私の場合は、(1)(3)(4)(5)あたりを規範としています。(1)については、特にシンポジウムなど公の場では注意しています。他人ともうまくやっていきたいヘタレな私は、(6)のようなことはちょっと無理ですし、尊敬する大先輩や恩人に対して、師匠への敬意をこめて「先生」と呼びたい気持ちがあります。「同僚を先生と呼ぶことに違和感を感じる」皆さんは、いかがでしょうか。

 ちなみに、自分のクライアントである患者さんに対して、同じ施設の医師のことを「○○先生」と呼ぶことは、おそらく別次元の話としてとらえるべきでしょう。顧客に対して身内に尊敬語を用いることが日本語マナーとして間違っているという、社会一般常識内の誤用の話ですから、「その呼び方はやめた方がいいね」というレベルだと思います。しかし、クライアントに対して身内に敬語を使う組織が、組織として普通にまかり通っているという状況そのものは、権威勾配を前提に成り立っている関係性を物語っているのかもしれません。

 最後に、新人専門職の皆さんにメッセージです。心から尊敬する師をもち、「私の先生」として位置づけることは、専門職に限らず、人間が成長していく上で極めて大切なことだと私は思っています。RCサクセションの曲に「僕の好きな先生」という曲があります。この曲は、先生のあり方をなかなか興味深く表しています。以下、歌詞の抜粋です。

たばこを吸いながら いつでもつまらなさそうに たばこを吸いながら いつでも部屋に一人 ぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさん たばこと絵の具のにおいの あの部屋にいつも一人 たばこを吸いながら キャンバスに向ってた ぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさん

 どんな世界でも「私の先生」は見つけられます。そして、「先生」からは、常になんでも学ぶことができると思います。1人の先生から10人が「学ぶ」とすれば、学び方は10通り。「先生」から学んだことで自分が変化することが教育なのだと私は思います。

 しかしながら、免許を持った専門職である医療者が、専門家でない人達(例えば患者さん)から「先生」と呼ばれる場合には、医療者自身がよい「先生」であることを常に意識する必要があると私は考えます。患者さんに対してよい「先生」でありたいし、そこに誇りを持って仕事をしたいです。そして、同業者を「先生」と呼ぶときは、その言葉に自分がどのような敬意と、学ぶ姿勢をこめているのかについて、常に意識したいと考えています。

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