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経営者ということ
- 2012年4月 4日 10:33
開業医 勤務医の違いをよく聞かれます
これは、単に経営者とサラリーマンの違いと似ているのでしょう
この感覚に、戸惑いを覚えることがあります。
それに対し、一つの良い意見を見つけました
なるほどです
"立場の違い=ルールの違い"
よければ、興味のある方は参考までに
読んでみてください
(抜粋しようと思いましたが、純粋に読んでいただきたいので全文載せています)
安田佳生メールマガジン 2012.04.04
◆ 安田佳生コラム「芸術と経営のさかい目」
ビートたけしは芸人であると同時に
経営者なのだな、と感心してしまった。
それはあるテレビ番組でこんなことを言っていたからだ。
「人は縛りがあるから頑張れる」私もその通りだと思う。
ただ頑張れと言われても人はどう頑張っていいのかが分からない。
ルールを決める事によってルールに従って頑張る人が現れ、
そして同時にルールを破るために頑張る人が誕生するのだ。
私が感心したのはその後にビートたけしが言ったことばだ。
「芸術家も企業家もルールに立ち向かってルールを破るのが仕事。
でも違うのは企業家は自分はルールを破っても、
社員にはルールを守らせないといけないということ」
なるほど、と唸ってしまった。
正直、ビートたけしの言葉にこれほど感心したのは初めてである。
それはたぶん、彼が普段は
経営者としての顔を見せないようにしているからだと思う。
でもついつい出てしまったのだろう。彼の本音とも言える苦悩が。
あれほど自由奔放にしている人でも
周りの人間にはきちんとルールを守らせている。
いや守らせなくてはならないのだ。
そうでないと組織運営は成り立たない。
そのことをきっとどこかで痛感したのだろうと思う。
私は昔から何かに縛られる事が大嫌いだ。
決められたルールに従って、決められたやり方で努力をする。
それが嫌で嫌でしょうがないから日本を出た。
そして自ら会社を立ち上げたのである。
もちろん、社長になったからといって自由になれるわけではない。
社長である事による自由と社長であるが故の不自由とを比べると、
圧倒的に不自由の方が多いと思う。
だがその不自由は自分で選択した不自由だ。
誰かに決められた不自由ではない。
自ら選んだ自由と自ら選んだ不自由。
それを何よりも大切にしているという点において、
創業社長と芸術家はかなり近い精神構造なのだと思う。
ルールは自分で決め自分の意志において守る。
そして時には自分で決めたルールを自分自身で破ってしまう。
それがどんなに不便で不自由だったとしても、
それこそが自分の存在価値なのだと信じているからだ。
私もそうだった。ただひとつ、
私自身経営者には向かないと今でも痛切に感じていること。
それは自分以外の人間をも枠にはめるのが嫌いな事である。
私は自分がやりたくないと思うことを他人にやらせる事ができない。
「自分はルールを破るけれども社員はルールを守れ。
私は社長であるけれども諸君は社長ではなく社員なのだ」
その一言が言えなかった。
自分が守る必要のないルールでも
社員には守らせなくてはならない。
それは人としてどうなのかという問題ではなく、
社長として果たさなくてはならない責務なのだと思う。
そもそも経営者と社員とは最初から異なるルールで動いている。
そんなことは分かっていた。
分かっていたのだけれどもできなかった。
「なぜ社長だけが特別なのですか?」
と社員から聞かれた事は一度もない。
ただ自分自身がその問いに対する答えを持っていなかっただけだ。
経営者と社員とに分かれるのではなく、みんなで経営する会社。
ルールは自分たちで決めて自分たちで守る。
それで成り立つ会社が理想なのだと確信していた。
だがそれは社会にとっての理想でも社員にとっての理想でもなく、
ただ私にとっての理想でしかなかった。
企業家は理想と現実の両方を持ち合わせていなくてはならない。
私の経営者人生はそれを確信するに十分な長さだった。
自分はやはり社長には向いていないのだと思う。
誰にも縛られたくないし誰も縛りたくない。
それは芸術家には許されても
社長には許されないわがままなのである。
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